時のしるし2【イスラエル復興の歴史的事実】

 

 かつて、プロイセン(現在のドイツ)のフリードリヒ大王が、「神の存在を一言で証明せよ」と侍従に問うたそうです。その侍従はこう答えました。

「陛下、それはユダヤ人です」

 ユダヤ人の存在が、なぜ神の存在を証明することが出来るのでしょう? その答えは、ユダヤ民族に対する預言とその歴史自体の証明です。ユダヤ民族の歴史は、それ自体が驚くべき「時のしるし」なのです。

 

信仰の父アブラハム

 

 神はシュメール文明(バビロン文明)の花咲く時代に、ノアの子セムの子孫から、ひとりの人物を召し出しました。その人は信仰の父と呼ばれるアブラハムです。創世記には、バベルの塔の事件の記述の後に、神がアブラハムを召し出した記述が書かれています。

 

 その後、主はアブラムに仰せられた。

 「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。」

(創世記12章1-3節)

 

 アブラハムは当時住んでいたカルデヤ(バビロン)のウルから、カナンの地(現在のイスラエル)に神に導かれて旅立ちます。神はバビロン文明の中心地から、神の選んだ土地カナンへアブラハムを呼び出したのです。アブラハムは華やかな文明世界を離れ、神を信じて見知らぬ土地へと旅立ちました。神の導いた地カナンは「乳と密の流れる地」と形容されるように、非常に豊かな土地でした。

 神はカナンの地でアブラハムに現れ、壮大な約束をしました。カナンの地はアブラハムの子孫に与えられ、アブラハムによって「地上のすべての民族」が祝福を受けるという約束です。アブラハムによって、その子孫のユダヤ民族だけが祝福されるのではなく、全世界の民族も共に祝福されるというのです。その神の計画は、その後のユダヤ民族を通して世界に語られて行きます。

 

 下の世界地図を見て下さい。赤い点のある所が、カナン(イスラエル)です。日本でよく見る世界地図は、日本が中心に配置されているのでピンときませんが、世界の感覚では日本は極東です。世界のすべての大陸は、かつてはひとつだったと聖書にありますが、現代の科学者たちも、大昔に大陸はひとつだったということを認めています。バラバラのパズルのような大陸を、ギュッとひとつにまとめると、その中心地点は、ずばり現在のイスラエル付近なのです。

 

「神である主は、こう仰せられる。『これはエルサレムだ。わたしはこれを、諸国の民の真中に置き、そのまわりを、国々で取り囲ませた』」(エゼキエル55節)

 

 まだ飛行機も人工衛星もない時代、神はエルサレムが世界の中心にあると語っていたのです。当時の人間には到底証明出来ないことでした。この中東が世界の中心なのです。

 

 

 ほんの百年ほど前、中東は世界にとって何の価値も無い荒野でした。しかし、今はどうでしょうか? 中東は現代文明を支える石油資源の宝庫として、世界経済を左右する重要な土地となっています。

 1970年代のオイルショックを覚えている方もいるかもしれません。もし中東で再び戦争が起これば、世界中でエネルギー危機が起こり、世界経済は停滞してしまいます。ですから、誰もが中東和平を望んでいます。しかし、ここにイスラエルという国があるために、この地域は常に緊張状態に置かれているのです。なぜそのようなことになったのでしょう? 偶然でしょうか? 実は、聖書ははるか昔からそれを預言して来たのです。

 そのことを語る前に、まずは、アブラハムから始まったイスラエルの歴史を振り返ってみましょう。

 

イスラエル民族の歴史

 

 日が沈みかかったころ、深い眠りがアブラムを襲った。そして見よ。ひどい暗黒の恐怖が彼を襲った。そこで、アブラムに仰せがあった。

 「あなたはこの事をよく知っていなさい。あなたの子孫は、自分たちのものでない国で寄留者となり、彼らは奴隷とされ、四百年の間、苦しめられよう。しかし、彼らの仕えるその国民を、わたしがさばき、その後、彼らは多くの財産を持って、そこから出て来るようになる。あなた自身は、平安のうちに、あなたの先祖のもとに行き、長寿を全うして葬られようそして、四代目の者たちが、ここに戻って来る。それはエモリ人の咎が、そのときまでに満ちることはないからである。」(創世記1512-16節)

 

 神はアブラハムに預言しました。アブラハムの子孫は、異国で四百年も奴隷として苦しめられるが、その国の罪を神がさばき、彼らをカナンの地に連れ戻すという預言です。その預言通り、アブラハムの子孫のイスラエル十二部族は、カナンの地から古代エジプトに移住し、その後四百年の間エジプトの奴隷にされました。しかし、そんな苦難の中でも、イスラエルの民にはアブラハムの神の約束という希望がありました。いつか神がエジプトをさばき、イスラエルの民を救い出して、約束の地カナンへ導き出して下さるという約束です。

 

出エジプト(出エジプト記、申命記、民数記)

 

 ついに四百年が過ぎ、神はモーセを召し出して、エジプトの王であるパロのもとへ遣わしました。しかし、パロは悔い改めなかったので、神はエジプトに災いを送って、その罪をさばき、イスラエルの民を脱出させました。イスラエル民族は一夜にしてエジプトを脱出しました。これが出エジプトです。この出来事が、後に「過越(すぎこ)しの祭り」のルーツとなります。

 モーセは海をふたつに割って紅海を渡り、神の山シナイへ民を導きました。(余談ですが、この出来事は、神話のように思われていましたが、最近、その出来事が事実であったと証明する遺跡が発見されています。モーセはエジプト半島のヌエイバ(Nuweibaa)という場所からアラビア半島に実際に海を割いて渡ったのです。エジプト人がイスラエル人が道に迷ったと思ったのも、その場所が海が終点の袋小路のように思ったからで、聖書の記述に合致します。また、アラビア半島にシナイ山(Jebel al Lawz)があったというパウロの書簡(ガラテア1章17節)とも一致します)

 

 イスラエルの民はシナイ山で神と出会います。神はそこでイスラエルの民に「律法」を与え、イスラエルの民と契約を結びました。イスラエル民族は、神と結婚したのです。神は彼らに、神を愛し、不法を行う異邦の民とは異なる、聖なる生き方をするようにと律法によって指示されました。 

 契約とは常にそうであるように、契約を守った時の規定と不履行時の規定が書かれています。神の律法にもその規定がありました。

 もし神の律法をイスラエルが守るのならば、神は大いなる「祝福」を与え、神の律法を破るならば、神は恐ろしい「のろい」を与えるという規定です。イスラエルは契約を承諾しました。こうしてイスラエルは神と正式に契約し、神の民として誕生したのです。そして、この契約の規定こそが、イスラエル民族の歴史そのものの預言となるのです。

 イスラエルは、後に他の神々を拝み、契約を破り、神の「のろい」を受けました。その「のろい」の内容とはイスラエルの民の離散でした。申命記28章には、それが驚くほど具体的に書かれています。

 

 もし、あなたが、あなたの神、主の御声に聞き従わず、私が、きょう、命じる主のすべての命令とおきてとを守り行なわないなら、次のすべてののろいがあなたに臨み、あなたはのろわれる。あなたは町にあってものろわれ、野にあってものろわれる。(中略)

 主は、あなたと、あなたが自分の上に立てた王とを、あなたも、あなたの先祖たちも知らなかった国に行かせよう。あなたは、そこで木や石のほかの神々に仕えよう。主があなたを追い入れるすべての国々の民の中で、あなたは恐怖となり、物笑いの種となり、なぶりものとなろう。(中略)

 これらのことは、あなたとあなたの子孫に対して、いつまでも、しるしとなり、また不思議となる。(中略)

 主は、遠く地の果てから、わしが飛びかかるように、一つの国民にあなたを襲わせる。その話すことばがあなたにはわからない国民である。その国民は横柄で、老人を顧みず、幼い者をあわれまず、あなたの家畜の産むものや、地の産物を食い尽くし、ついには、あなたを根絶やしにする。彼らは、穀物も、新しいぶどう酒も、油も、群れのうちの子牛も、群れのうちの雌羊も、あなたには少しも残さず、ついに、あなたを滅ぼしてしまう。

 その国民は、あなたの国中のすべての町囲みの中にあなたを包囲し、ついには、あなたが頼みとする高く堅固な城壁を打ち倒す。彼らが、あなたの神、主の与えられた国中のすべての町囲みの中にあなたを包囲するとき、あなたは、包囲と、敵がもたらす窮乏とのために、あなたの身から生まれた者、あなたの神、主が与えてくださった息子や娘の肉を食べるようになる。(中略)

 主は、地の果てから果てまでのすべての国々の民の中に、あなたを散らす。あなたはその所で、あなたも、あなたの先祖たちも知らなかった木や石のほかの神々に仕える。これら異邦の民の中にあって、あなたは休息することもできず、足の裏を休めることもできない。主は、その所で、あなたの心をおののかせ、目を衰えさせ、精神を弱らせる。あなたのいのちは、危険にさらされ、あなたは夜も昼もおびえて、自分が生きることさえおぼつかなくなる。

 

 

ヨシュアによる約束の地への帰還(ヨシュア記)

 

 モーセに代わってヨシュアがイスラエルの民を率い、約束の地カナンへ入って行きました。しかし、カナンの地には、イスラエルの民が不在の間に、エモリ人たちが定住していました。彼らは偶像崇拝をし、その上、自分の子どもたちを偶像に火でささげるという恐ろしい罪を長年にわたって行っていました。その罪は四百年分増し加わっており、罪の目盛りは神のさばきにまで満ちあふれていました。神はイスラエル民族を神のさばきの道具として用い、カナン人をさばいたのです。

 

バビロン捕囚(列王記、歴代誌、エズラ記、ネヘミヤ記、エレミヤ書、哀歌)

 

 カナンの地に戻ったイスラエル民族でしたが、時代が流れるにつれ、次第に神との契約を忘れ、カナン人の土着宗教に染まり、彼らと同じような恐ろしい罪を犯し始めました。そんな時、神は士師や預言者たちを遣わし、イスラエル民族に悔い改めを語りかけました。民が悔い改めると勝利が与えられ、民が罪を犯すと敵が現れました。

 その後、ダビデ王がイスラエルを統一し、王制を確立しました。息子のソロモン王は、エルサレムに神の神殿を建てました。これが第一神殿と呼ばれるものです。

 しかし、後にイスラエルは、北のイスラエル王国と南のユダ王国に分裂してしまいます。預言者たちの語りかけもむなしく、人々は罪を止めませんでした。そして申命記の「のろい」の預言が下りました。

 北のイスラエル王国はアッシリアに滅ぼされ、南のユダ王国もバビロニア帝国に滅ぼされました。エルサレム神殿は崩壊し、民は補囚となってバビロンに連れて行かれました。先に出て来た預言者ダニエルもその捕囚の一人です。

 預言者たちはイスラエルの民に、何度も警告と預言をしていました。悔い改めないと神の律法の「のろい」の契約が下るのだと。しかし、人々は聞こうとせず、契約不履行の罰が下りました。

 

 律法を破った時の「のろい」に、イスラエル民族の離散がありましたが、実際、その通りの出来事がバビロン補囚で起こったのです。

 しかし、預言者エレミヤは、このバビロン捕囚という神ののろいは、七十年間という期間限定で、離散地域も限定的だと預言していました。その通りに、離散の七十年後にイスラエル民族はバビロンからエルサレムに帰還し、神殿を再建し始めたのです。この神殿が第二神殿と呼ばれるものです。その時の事情は、旧約聖書のエズラ記やネヘミヤ記、エレミヤ書、哀歌に詳しく書かれています。

 

 聖書の預言者たちはみな、いつの日か、イスラエルを解放する王なる「キリスト(油注がれた者、救世主=メシア)」が来られると預言していました。帰還したユダヤ人たちはみな、その預言されていたキリストの到来を待ち望んでいたのです。旧約聖書の記述は、メシアを待ち望むところで終わっています。

 

 

エルサレム神殿

 

 バビロン捕囚から帰還したイスラエル(ユダヤ)は、ギリシャ帝国から分かれたセレウコス朝シリアと戦います。アンティオコス・エピファネスという王が、第二神殿を汚して偶像を設置したことから、律法を守るユダヤ人たちが隆起し、戦争が起こりました。これがマカベア戦争です。イスラエルは勝利し、汚された宮をきよめました。これが宮きよめの祭りのルーツです。(外典マカベア書)

 

 時代は変わり、ローマ帝国が台頭して来ました。ダニエル書の第四の獣の時代です。

イスラエルはせっかく自立を勝ち取ったのに、政治的内紛によって、ローマのポンペイウス将軍により、属州とされてしまったのです。名ばかりのユダヤの王がローマによって任命され、ユダヤ地方を統治しました。しかし、ローマはエルサレム神殿に対しては柔軟な政策をとりました。

 この様な時代に、イエス・キリストが預言通り生まれたのです。イエスを殺そうとした有名なヘロデ大王は、実はエドム人でユダヤ人ではありません。彼は建築に力を入れ、BC20年から、第二神殿の大規模な改修工事を始めます。 国の財は神殿改修に費やされ、貧しい者たちは苦しみました。

 イエスはエルサレム神殿を見た弟子たちがその絢爛豪華さ、素晴らしさに感嘆の声をあげているのを見てこう言いました。

 

 「あなたがたの見ているこれらの物について言えば、石がくずされずに積まれたまま残ることのない日がやって来ます」(ルカの福音書216節)。 

 

 弟子たちはこのイエスの言葉に驚きました。こんなに壮大な建造物が崩される日が来るなど、その時は考えることも出来なかったのです。 

 

イエスキリストのエルサレム入城

 

 AD32年、イエス・キリストはエルサレムに入城しました。民衆は大喜びでキリストを迎えました。しかし、この民衆の熱狂的歓迎を見ながら、キリストだけが哀しみの涙を流されていたのです。(キリストがいったい何をしに来たのかは「時のしるし5 キリスト預言」の項をお読み下さい。

 

 「おまえも、もし、この日のうちに、平和のことを知っていたのなら。しかし今は、そのことがおまえの目から隠されている。やがておまえの敵が、おまえに対して塁を築き、回りを取り巻き、四方から攻め寄せ、そしておまえとその中の子どもたちを地にたたきつけ、おまえの中で、一つの石もほかの石の上に積まれたままでは残されない日が、やって来る。それはおまえが、神の訪れの時を知らなかったからだ」

(ルカ福音書194244)

 

 キリストのエルサレム入城に熱狂する群衆の誰一人、その弟子たちさえも、キリストの涙と預言の真の意味を知りませんでした。ただキリストだけが、ご自分の苦難とこの都の滅亡とユダヤ民族のその後の苦難を知って泣いておられたのです。 

 民衆がキリストを熱狂的に迎えたのは、自分たちをローマ帝国の圧政から救い出してくれる力強い「キリスト」がイエスだと考えていたからです。ゼカリヤ書14章には、恐ろしい神の力で敵を殲滅させるキリストの姿が預言されています。人々はローマの圧政から解放してくれる武装したキリストしか期待していなかったのです。真のキリストが何をしに来たのか全く知りませんでした。

 

 エルサレムに入城したキリストは、ローマ軍を攻撃することもなく、軍隊を組織しようともしませんでした。病を癒す奇跡は行っても、武力で敵を倒すことはなさらなかったのです。 むしろキリストの怒りは、ローマ帝国ではなく、神の宮を汚すエルサレムの指導者たちに向けられました。 民の指導者達は、民衆がキリストを喜んで迎えているのをねたみ、このままではキリストの方に民衆がついて行ってしまうと恐れ始めました。

 

宮きよめ

 

 エルサレムに入城したキリストの取った行動に、人々は驚かされました。

 

 「イエスは宮にはいり、宮の中で売り買いしている人々を追い出し始め、両替人の台や、鳩を売る者たちの腰掛けを倒し、また宮を通り抜けて器具を運ぶことをだれにもお許しにならなかった。

 そして、彼らに教えて言われた。『『わたしの家は、すべての民の祈りの家と呼ばれる』と書いてあるではありませんか。それなのに、あなたがたはそれを強盗の巣にしたのです。』」(マルコの福音書1118節)

 

 当時の民の指導者たちは、遠方から巡礼に来るユダヤ人の弱みにつけ込む商売を許し、利得を得ており、貧しい人や病人は、罪人とさげすまれ、ほっておかれました。 律法の愛の精神はまったく行われていませんでした。 しかし、この民には聖なる「神の御名」がついていました。 ですから世界はその行いを見て、イスラエルの神を見ていました。「神の御名」はイスラエルの民の堕落のために、異邦人の間でおとしめられていたのです。 イエスはイスラエルの指導者たちに向かってこう言われました。

 

 「忌まわしいことだ。あなたがたは、預言者たちの墓を建てている。しかし、あなたがたの先祖は預言者たちを殺したのです。そのようにして、あなたがたは、自分の先祖のしたことの証人となり、それを認めています。なぜなら、あなたがたの先祖が預言者たちを殺し、あなたがたがその墓を建てているからです。だから、神の知恵もこう言いました。『わたしは預言者たちや使徒たちを彼らに遣わすが、彼らは、そのうちのある者を殺し、ある者を迫害する。世の初めから流されたすべての預言者の血の責任を、この時代が問われるためである。それは、アベルの血から、祭壇と神の家との間で殺されたザカリヤの血に至るまでの、そうだ。わたしは言う。この時代はその責任を問われる。』」(ルカによる福音書114851)

 

 キリストは、将来起こるエルサレムの悲劇は、神の御心を行わず、預言者たちを拒否し続けたイスラエルへの「神のさばき」であることを宣告しました。

 公に非難された民の指導者たちは、どうやってイエスを殺そうかと相談し始めました。しかし、自力ではできないと考えた彼らは、敵であるローマの権力に頼る方法を選んだのです。 彼らはイスラエルの神ではなく、この世の神であるローマの権力に頼ったのです。こうして、彼らの罪の目盛りは、キリスト殺害によって、さらに増し加えられたのでした。 

 

イスラエルの復興

 

 キリストは十字架につけられました。民の指導者たちは自分たちが勝ったと思いました。しかし、そうではありませんでした。キリストはアブラハムの祝福を実現するために、世界中の民族のために、ご自分をその罪の贖いのために捧げて勝利を得ていたのです。

 キリストが預言通り復活し、弟子たちの前に現れた時、勢いづいた弟子たちは、イエスが預言通りに、すぐさまイスラエルを再興してくれるのでは、と思っていました。しかし、イエスはそれを否定しました。神が異邦人を救う計画を持っておられることを、弟子たちはまだ理解していなかったのです。

 

 そこで、彼らは、いっしょに集まったとき、イエスにこう尋ねた。

「主よ。今こそ、イスラエルのために国を再興してくださるのですか。」

 イエスは言われた。

「いつとか、どんなときとかいうことは、あなたがたは知らなくてもよいのです。それは、父がご自分の権威をもってお定めになっています。」

(使徒の働き1章6〜7節)

 

 キリストは、イスラエルの復興の未来を否定していません。しかし、その前に起こる恐ろしい事を預言していたのです。

 

ダニエルの70

 

 キリストより約500年前に生きていた預言者ダニエルは、バビロン王に仕えていた捕囚のユダヤ人ですが、ある日、祈っていると、主から次のような言葉を頂きました。

 

 「あなたの民とあなたの聖なる都については、七十週が定められている。それは、そむきをやめさせ、罪を終わらせ、咎を贖い、永遠の義をもたらし、幻と預言とを確証し、至聖所に油をそそぐためである。それゆえ、知れ。悟れ。引き揚げてエルサレムを再建せよ、との命令が出てから、油そそがれた者(キリスト)、君主の来るまでが七週。また六十二週の間、その苦しみの時代に再び広場とほりが建て直される。その六十二週の後、油そそがれた者は断たれ、彼には何も残らないやがて来たるべき君主の民が町と聖所を破壊する(ダニエル9章2426節)

 

 BC445年、ペルシャの王アルタシャスタが、イスラエルの民にエルサレム再建命令を出しました(ネヘミヤ書2章18節)。バビロン捕囚の民はイスラエルに帰還し、エルサレム神殿の広場とほりが立て直され、再建されました。

 7週と62週を足すと69週です。69週を日にちに換算すると483日です。このペルシャ王のエルサレム再建命令の483年後とは、何とAD32年、キリストがエルサレムに入城した年だというのです。キリストが来られる時期は、前もって預言されていたのです。しかし、人々は預言されていた「神の訪れの時」を信じませんでした。

 こうしてダニエルの預言通り、69週目に「油注がれた者(キリスト)」であるイエスが来られ、十字架で断たれました。キリストは、何も残らないまでにご自身全てを捧げました。その大きな意味を知る者はその時はいませんでした。

 キリストの到来の後に来る、「来たるべき君主の民」とはローマ帝国です。このローマが、文字通りに町と聖所を破壊するのです。

 

エルサレムへの福音

 

 キリストは復活後にオリーブ山から昇天しました。その後、キリストの弟子たちによって、福音はまず最初にエルサレムで語られました。エルサレムは世界で最初に福音が満ちた都となったのです。しかし、キリストを迫害したように、民の指導者たちは弟子たちも迫害しました。こうしてエルサレムは、キリスト殺害だけでなく、福音を拒絶することで、罪の目盛りをさらに増し加えたのです。

 沢山の弟子たちがエルサレムから追放されましたが、彼らは出ていった先々で福音を宣べ伝え始めました。こうして福音はエルサレムから出て、地中海世界に急速に広まり、当時の世界の中心であったローマにまで伝わって行ったのです。 

 

戦争の足音

 

 エルサレムの都からキリストの弟子たちが追放され、ほとんどいなくなったAD64年頃、エルサレム第二神殿は約80年の改修工事を終えて完成しました。絢爛豪華なエルサレム第二神殿と、堅固な町の城壁の完成を見て、人々は誇っていました。しかし、まさにそのような絶頂期に、恐ろしい出来事が起こったのです。

  長年にわたるローマ総督の圧政に、民の不満はつのっていました。我慢は限界となり、次第に平和的方法ではなく、武力に頼る様になっていきました。しかし、ローマ総督に反抗することは、すなわちローマ帝国に対する反抗とみなされます。ローマ総督はそれをいいことに、ユダヤでやりたい放題をしました。ついに、民は駐屯していたローマ軍に襲いかかりました。

 AD66年、ローマとユダヤの戦争が始まりました。これをユダヤ戦争といいます。当時のローマ皇帝はクリスチャン迫害で有名なネロ皇帝でした。彼は名将ヴェスパシアヌス将軍と息子のティトスにユダヤ制圧を命じます。このような地方の反乱を鎮めなければ、他の属州でも反乱が起こることになるからです。こうしてローマ帝国はその帝国の威信をかけ、ユダヤ制圧に力を入れたのです。

 ローマ軍は次々と武力でユダヤを制圧して行きました。反乱分子や暴徒はエルサレムの都に逃げ込みました。堅固な城壁を持つエルサレムを陥落させない限り、ローマの勝利はありません。 ローマは大軍を引き連れ、エルサレムに近づいて来ました。 人々はこれから何が起こるのか、その恐ろしさをまだ知らずに楽観的に暮らしていました。 自分たちが神を退け、自分に滅びを引き寄せていたことを知らなかったのです。

 しかし、エルサレムにいたクリスチャンだけは違いました。彼らはその時、キリストのこの預言を思い出したのです。

 

 「エルサレムが軍隊に囲まれるのを見たら、そのときには、その滅亡が近づいたことを悟りなさい。そのとき、ユダヤにいる人々は山へ逃げなさい。都の中にいる人々は、そこから立ちのきなさい。いなかにいる者たちは、都にはいってはいけません。これは、書かれているすべてのことが成就する報復の日だからです。 その日、悲惨なのは身重の女と乳飲み子を持つ女です。この地に大きな苦難が臨み、この民に御怒りが臨むからです。人々は、剣の刃に倒れ、捕虜となってあらゆる国に連れて行かれ、異邦人の時の終わるまで、エルサレムは異邦人に踏み荒らされます。」

(ルカ福音書212024節)

 

 当時のクリスチャンたちは、その時一体どうしたのでしょうか? エウセビオスは「教会史」(山本書店・秦剛平訳)の中で次のように書いています。

 

「エルサレム教会の人々は戦争前に啓示を介して、その他の人々に与えられたある託宣によって都を離れ、ペレアのペラという町に住むように命じられた。そこでキリストを信じる人々は、エルサレムからそこに移り住んだが、その為にユダヤ人の第一の首都とユダヤの全地は、聖なる人々から完全に見放された形になった。 ついに、キリストや使徒達へのこの悪質な犯罪の為に、神の審判がユダヤに臨み、不敬虔な者の世代を人々の間から完全に断ったのである。」

 

 エルサレムが軍隊に囲まれつつあるのを見て、クリスチャンたちは、キリストの預言を思い出し、その指示通りに都から離れ、ヨルダン川を越えて間一髪無事だったのです。

 次第に近づくローマ軍の噂がエルサレム中に飛び交いました。でも、いまだ都は人々の出入りが自由で、戦争の暗い影は見えませんでした。 世界でも名高い堅固な城壁、完成したばかりの荘厳なエルサレム神殿が、人々の不安をかき消していました。 人々は、いざとなったらイスラエルの神が自分たちを守ってくれると勝手に思っていましたが、すでにその神の子を十字架につけ、神の和解の福音を退け、神の守りを失っていたことを知らなかったのです。 キリストはこう預言していました。

 

「『家を建てる者たちの見捨てた石。それが礎(いしずえ)の石になった。これは主のなさったことだ。私たちの目には、不思議なことである』 だから、わたしはあなたがたに言います。 神の国はあなたがたから取り去られ、神の国の実を結ぶ国民に与えられます。 また、この石の上に落ちる者は、粉々に砕かれ、この石が人の上に落ちれば、その人を粉みじんに飛ばしてしまいます。」(マタイ214143節)

 

「家を建てる者たちの見捨てた石。それが礎の石になった」。これは旧約聖書のダビデ王の詩編118篇の聖句です。 「家を建てる者たち」とは神の民イスラエルです。そして「石」とはキリストのことです。イスラエルはキリストを捨てたのですが、それが礎となり、神の恵みは異邦人へと流れて行ったのです。こうしてアブラハムの祝福は異邦人へと流れていきました。

 

 

ヨセフスの「ユダヤ戦記」

 

 エルサレムの最後の姿を非常によく書き残している文献があります。ヨセフスの「ユダヤ戦記」です。そこには、いかにしてローマ帝国とユダヤの戦争が始まり、終結したかが書かれています。

 著者のヨセフスは、当初はユダヤ軍側の指揮者の一人で、ローマ軍のヴェスパシアヌス将軍と戦っていました。 しかし、ガリラヤ地方のヨタパタの戦闘でローマ軍に投降したのです。ヨセフスは、ヴェスパシアヌス将軍が将来ローマ皇帝になると予言し、命を取り留めました。 果たして、ネロ皇帝が暗殺され、ヨセフスの言った通りにヴェスパシアヌスがローマ皇帝となり、ヨセフスは信頼を受けることになります。

 こうしてヨセフスは、ローマ側の人間となり、ユダヤ人にローマ軍への投降を勧める役割を担います。そして、後にこのユダヤ戦争の記録を書き残すことになったのです。彼のおかげで、私たちはどのようにして預言が成就したかを知ることができるのです。

 

過越(すぎこ)しの祭り

 

 クリスチャンたちがエルサレムの都を去った時期は、奇しくも、キリストが十字架につけられた、過越しの祭りの頃でした。キリストの預言を信じて脱出するクリスチャンとは裏腹に、大勢のユダヤ人たちが、世界中から過越しの祭りのために集まって来ていたのです。

 その時、突然ローマ軍が都の出入口を塞いだのです。エルサレムは袋のねずみになりました。当時の様子を、ヨセフスは「ユダヤ戦記」(山本書店)の中で、こう書いています。

 

「戦争勃興から終結までに捕虜になった者の数は九万七千に達し、包囲攻撃中に死んだ者の数は百十万だった。犠牲者数の大半は同胞ユダヤ人であったが、エルサレムの土着の者ではなかった。彼らは種入れぬパンの祭り(過越しの祭り)の為にユダヤ全土から集まって来て、突然戦争に巻き込まれたのである。 あまりにも多くの者が集まりすぎた為、まず疫病が、そして後には飢餓が彼らの命を次々と奪っていった。 これらの者の大半はエルサレム外の土地から来ていた。そしてその時、運命の定めであるかのように、全ユダヤ民族が監獄に閉じ込められ、その結果、市中はかくも多数の人間が戦争の為に封じ込まれたのである。」

 

 ろう城が長引くにつれ、暴徒たちが都を支配しました。その内に権力抗争が始まり、粛正が始まります。閉じ込められた無力な民衆は、同胞の手によって次々と殺されていったのです。この暴徒たちによって、和平的解決を望んでいたユダヤ人指導者たちも次々と殺され、エルサレムは無法地帯となりました。外にはローマ兵が待ち構えており、中では恐怖政治で、ユダヤ人は脱出の道を失って、エルサレムはこの世の地獄と化したのです。 

 

モーセの律法にある「祝福」と「のろい」

 

 神の律法の「のろい」が1300年後に起こったということを、検証してみましょう。

 

 「主は、遠く地の果てから、わしが飛びかかるように、一つの国民にあなたを襲わせる。その話すことばがあなたにはわからない国民である。

 その国民は横柄で、老人を顧みず、幼い者をあわれまず、あなたの家畜の産むものや、地の産物を食い尽くし、ついには、あなたを根絶やしにする。彼らは、穀物も、新しいぶどう酒も、油も、群れのうちの子牛も、群れのうちの雌羊も、あなたには少しも残さず、ついに、あなたを滅ぼしてしまう。

 その国民は、あなたの国中のすべての町囲みの中にあなたを包囲し、ついには、あなたが頼みとする高く堅固な城壁を打ち倒す

 彼らが、あなたの神、主の与えられた国中のすべての町囲みの中にあなたを包囲するとき、あなたは、包囲と、敵がもたらす窮乏とのために、あなたの身から生まれた者、あなたの神、主が与えてくださった息子や娘の肉を食べるようになる。あなたのうちの最も優しく、上品な男が、自分の兄弟や、自分の愛する妻や、まだ残っている子どもたちに対してさえ物惜しみをし、自分が食べている子どもの肉を、全然、だれにも分け与えようとはしないであろう。

 あなたのすべての町囲みのうちには、包囲と、敵がもたらした窮乏とのために、何も残されてはいないからである。あなたの町囲みのうちは、包囲と、敵がもたらした窮乏との中にあるからである」。(申命記284957節)

 

 AD70年、エルサレムの都に、遠いローマからローマ帝国の軍隊がやって来ました。 当時のローマ軍のシンボルは「わし」です。 ローマ人の言葉はラテン語で、ユダヤ人にはわかりませんでした。彼らは残忍な軍隊で有名でした。ローマ軍はあっという間にエルサレムの都を包囲してしまいました。時は過越のまつりの時期で、大勢のユダヤ人が都に集まっていた時でした。すぐに都の中では窮乏が始まりました。そして、ついには自分の子どもを食べる親まで出たのです。ヨセフスはエルサレムの都で起こった、ある恐ろしい事件を書き残しています。

 

 ヨルダン川の向こう側の住民にマリアという女がいた。彼女は家柄も良く、財産にも恵まれていることで知られていた。彼女は住民と共にエルサレムへ逃れ、そこで包囲攻撃に巻き込まれてしまったのである。

 彼女がペレアから携えてきて都に運び入れた財産の大半は暴君達に略奪され、その他の財産や苦労して蓄えてきた食料等もすべて、連日にわたる彼らの手下どもの強奪で失ってしまった。

 …飢えは彼女の廉恥(れんち)心をむしばみ、怒りが飢え以上に彼女を消耗させた時、ついに怒りと空腹のあまり非道なことをやってのけることになった。彼女は嬰児(えいじ)を抱きしめて叫んだ。『かわいそうな我が子よ。戦いと飢えと内乱。わたしはどうやっておまえの小さな命を守ったらよいのか。ローマ軍が来るまで生きながらえても、奴隷の生活しか待ってはいない。奴隷になる前に、私たちは飢えで死んでしまう。だが、奴隷や飢えよりも残酷なのが叛徒たちだ。さあ、我が子よ、私の食物になっておくれ。叛徒には復讐の霊となり、この世界にはユダヤ人がこおむったひどい災禍を語り伝えておくれ。』

 こう言うと、彼女はひと思いに息子を絞め殺した。そして、彼女はその死体をローストすると、夢中で半分食べ、その残りを隠した。やがて、叛徒たちが姿を現して、異臭をかぎつけ、料理したものを出さなければ即刻かき殺すぞと彼女を脅した。彼女は『おまえ達の為においしいところを取っておいたよ』と言って、残り半分を出した。彼らは恐怖でおののき、肝をつぶして出されたものを見つめた。(ヨセフス「ユダヤ戦記」第三巻)

 

エルサレム陥落

 

 ついにエルサレムの最後の日がやってきました。ヨセフスはこう書いています。

 

 聖所が炎上している間、ローマ兵は、目に入るものは片っ端から略奪して回り、捕らえた者はすべて殺した。

 高齢者や著名人であっても憐憫(れんびん)の情や敬意の念はいっさい払われなかった。 子供や老人、一般人と祭司たちが無差別に虐殺された。 戦争はあらゆる階層の人々ーー憐れみを乞う者も抵抗する者もーーを巻き込み、破滅へと導いた。

 火はごうごうと不気味な音をたてて燃え広がり、倒れた者のあげる呻吟(しんぎん)がそれに入り混じった。

 丘が高く、炎上した建物が大きかった為に、全市が燃え上がっていると思われるほどだった。その時の阿鼻叫喚(あびきょうかん)ほど耳をつんざし、心胆を寒からしめるものはなかった。

 続々と集まってきたローマ軍団の兵士が挙げる歓声、火と剣に包囲された叛徒たちが挙げる助けを求める声、上方で取り残され、あわてふためいて敵のただ中に逃げ込み、死に直面した民衆の恐怖の声

 丘の上の者たちの叫び声に市中の者たちの叫び声が入り混じった。 そして、飢えの為にやせ細り、おしのように押し黙った多勢の者は、聖所の燃えさかるのを見て、もう一度力をふりしぼり、深い悲しみと嘆きの声を挙げた。その声はペレアと周辺の山々にとどろき、おどろおどろしき音となって返ってきた。」

 

 ローマ軍は、異邦人が決して入ってはならないとされる神殿の聖所に入り、宝物を略奪し、その建物を完全に打ち壊しました。神殿の石は谷底に落とされ、更地になりました。ユダヤ人の誇りであり、望みでもあったエルサレム第二神殿は、異教徒によって完全に崩壊したのです。捕虜たちは奴隷として安値で外国へ売られていきました。こうしてイスラエルの国は地上から姿を消したのです。ローマ軍は大勝利を得て、ローマに凱旋帰国しました。

 今でもローマには、ティトスの凱旋門のレリーフに、その時の凱旋の様子が刻まれているのが見られます。ローマ兵がかつぐ大きな燭台が見えますが、それは神殿内に安置されてた燭台(メノラー)で、イスラエルのシンボルでした。

 

 

マサダの砦

 

 エルサレムが陥落しても、ユダヤ各地の反乱は収まりませんでした。 中でも、ヘロデ大王が改築し、食糧を備蓄していた難攻不落で有名なマサダ要塞は、ローマ軍にとって驚異でした。当時このマサダには、約千人のユダヤ人が立てこもったのですが、エルサレムとは違って、マサダに飢えはありませんでした。 何年でも暮らせる程の豊富な食料と水の備蓄があったのです。 しかし、ローマにとって、ここを完全に陥落させない限り、ユダヤ全土を完全制圧したことにはなりません。 ローマ軍は全勢力を結集してマサダを攻略をしました。何と要塞の上まで人工の坂道を作ったのです。

 AD73年、ついにローマ軍がマサダに進入する日がやって来ました。 ローマ兵は、2年間の苦しみを思って、なだれ込みました。しかし、そこで目にしたものは、多数の死体の山だけでした。人々は自決を選んだのです。こうしてマサダは陥落し、ユダヤ戦争は完全に終結しました。

 

 「この地に大きな苦難が臨み、この民に御怒りが臨むからです。 人々は、剣の刃に倒れ、捕虜となってあらゆる国に連れて行かれ、異邦人の時の終わるまで、エルサレムは異邦人に踏み荒らされます。」(ルカ福音書212324節)

 

 キリストのこの預言は、こうして確実に成就しました。人々は剣の刃に倒れ、捕虜となってあらゆる国に連れて行かれ、エルサレム第二神殿は崩壊し、異邦人に踏み荒らされました。ユダヤ人は国を失い、国土は荒れ果て、奴隷として売られていきました。ユダヤ人の世界的な離散(ディアスポラ)が始まったのです。

モーセの律法の「のろい」が実行されたのです。

 

 主は、地の果てから果てまでのすべての国々の民の中に、あなたを散らす。あなたはその所で、あなたも、あなたの先祖たちも知らなかった木や石のほかの神々に仕える。これら異邦の民の中にあって、あなたは休息することもできず、足の裏を休めることもできない。主は、その所で、あなたの心をおののかせ、目を衰えさせ、精神を弱らせる。

 あなたのいのちは、危険にさらされ、あなたは夜も昼もおびえて、自分が生きることさえおぼつかなくなる。あなたは、朝には、「ああ夕方であればよいのに。」と言い、夕方には、「ああ朝であればよいのに。」と言う。あなたの心が恐れる恐れと、あなたの目が見る光景とのためである。(申命記286467節)

 

 この律法の「のろい」が、その後のイスラエル民族に下ったことは、ユダヤ人の離散の歴史を見れば分かります。しかし、彼らはどんな迫害にも滅びず、そのユダヤ性を失うことはありませんでした。彼らはキリスト教国の中でも絶対にクリスチャンにはなりませんでした。しかし、もし彼らがクリスチャンに簡単になっていたら、ユダヤ人は異邦人に同化して、ユダヤ人はひとりも残っていなかったことでしょう。彼らは離散の間、彼らの真の王であるキリストを知ることが許されていなかったのです。

 では、イスラエルはのろわれたまま、これで終わりなのでしょうか? いいえ、彼らには大きな希望があるのです。モーセの律法には続きがあるのです。それは「イスラエル復興」の預言です。

 

イスラエル復興 「希望」の預言

 

 モーセは「祝福」と「のろい」をイスラエルの民に告げただけではなく、「のろい」に続く「希望」の預言も最初から告げていました。

 神はモーセを通してこう語っていました。

 

 「私があなたの前に置いた祝福とのろい、これらすべてのことが、あなたに臨み、あなたの神、主があなたをそこへ追い散らしたすべての国々の中で、あなたがこれらのことを心に留め、あなたの神、主に立ち返り、きょう、私があなたに命じるとおりに、あなたも、あなたの子どもたちも、心を尽くし、精神を尽くして御声に聞き従うなら、あなたの神、主は、あなたを捕われの身から帰らせ、あなたをあわれみ、あなたの神、主がそこへ散らしたすべての国々の民の中から、あなたを再び、集める。

 たとい、あなたが、天の果てに追いやられていても、あなたの神、主は、そこからあなたを集め、そこからあなたを連れ戻す。あなたの神、主は、あなたの先祖たちが所有していた地にあなたを連れて行き、あなたはそれを所有する。

 …あなたの神、主は、あなたの心と、あなたの子孫の心を包む皮を切り捨てて、あなたが心を尽くし、精神を尽くし、あなたの神、主を愛し、それであなたが生きるようにされる」(申命3016節)

 

 モーセは、たとえイスラエルの民が「のろい」を受けて世界中に離散したとしても、神はイスラエルを決して忘れず、いつの日か必ず民を再び集め、イスラエルの地に帰還させる、と預言していたのです。

 ユダヤ人たちは、この預言を信じて、辛い離散時代を生き延びました。しかし、その期間が二千年にも及ぶとは思ってもいなかったでしょう。

 

その後のユダヤ人の苦難の歴史

 

 AD135年、ユダヤ戦争で敗北したユダヤ人は、再びローマと戦います。皇帝ハドリアヌスが、エルサレムを「アエリア・カピトリナ」と改名し、ユピテル神殿を建設する計画を知り、ユダヤ人は激しく反発しました。その時、バル・コクバという男が、自分こそはユダヤ民族を救う「キリスト」であると言い始めました。当時のユダヤ教の精神的指導者ラビ・アキバがその支持を表明したことから、人々の期待が一気に高まり、ユダヤは再び戦争に突入します。一時的に政権を奪還したものの、結局反乱は失敗に終わり、バル・コクバは戦死、ラビ・アキバも処刑されました。これがバルコクバの乱です。

 皇帝ハドリアヌスは、徹底的なユダヤ人弾圧を行い、ユダヤ暦を廃止し、エルサレムを「アエリア・カピトリナ」に改名しただけでなく、ユダヤ全土を、「パレスチナ」と改名しました。「パレスチナ」とは、旧約聖書に書かれていたイスラエルの敵「ペリシテ」のことです。その当時、すでにペリシテ人は滅んでいました。ユダヤ人への嫌がらせのために、そう名前をつけたのです。そして、ユダヤ人はエルサレムに立入禁止となりました。こうしてユダヤ人の離散(ディアスポラ)はさらに加速しました。 

 

 AD379年、キリスト教がローマ帝国の国教となってからは、ユダヤ人クリスチャンが激減しました。教会は異邦人のキリスト教徒で組織されるようになりました。いつしか教会は、律法のイスラエル復興の預言をそのまま受け入れずに、イスラエルに関する全ての預言を、教会に置き換えるという「置換(ちかん)神学」を作り出しました。ユダヤ人の離散が長期に渡り、ユダヤ人がイスラエルに国を再建するなど、絶対にありえないと思われたのです。

 こうしてユダヤ教徒は、キリスト殺しの呪われた民として、教会からも迫害されるようになったのです。迫害が増すと、ユダヤ人はイエス・キリストを全く知ろうとしなくなりました。キリスト教国に住みながら、ゲットーに留まり、まったくキリスト教と無縁で暮らしたのです。彼らにとって、イエスとは迫害を思い出す恐ろしい名前となりました。

 ユダヤ人はキリストに対して盲目になり、キリストを殺しましたが、異邦人はユダヤ人に対して盲目になり、ユダヤ人を殺しました。ユダヤ人はキリストにつまずきましたが、反対に異邦人教会はユダヤ人につまずいたのです。それは本当に不思議なことです。しかし、使徒パウロは、前もってローマ人への手紙11章の中で、イスラエルの復興についてこう語っていました。

 

 では、どうなるのでしょう。イスラエルは追い求めていたものを獲得できませんでした。選ばれた者は獲得しましたが、他の者は、かたくなにされたのです。こう書かれているとおりです。

 「神は、彼らに鈍い心と見えない目と聞こえない耳を与えられた。今日に至るまで。」

 「彼らの食卓は、彼らにとってわなとなり、網となり、つまずきとなり、報いとなれ。その目はくらんで見えなくなり、その背はいつまでもかがんでおれ。」

 では、尋ねましょう。彼らがつまずいたのは倒れるためなのでしょうか。絶対にそんなことはありません。かえって、彼らの違反によって、救いが異邦人に及んだのです。それは、イスラエルにねたみを起こさせるためです。もし彼らの違反が世界の富となり、彼らの失敗が異邦人の富となるのなら彼らの完成は、それ以上の、どんなにかすばらしいものを、もたらすことでしょう。(ローマ11712節)

 

 パウロは、イスラエルがいつか必ず復興することを肯定し、教会に手紙を書いて説明していましたが、中世のキリスト教会は、このパウロの言葉を信じず、曲解したのです。

 

 今から百年ほど前に、ヨーロッパにシオニズム(イスラエルに帰還しようとするユダヤ主義)が起こり、ユダヤ人は少しづつイスラエルに帰還し始めました。しかし、当時の豊かなヨーロッパから、荒れ果てたユダヤの地に行くとなれば、困難を選ぶ勇気が必要でした。文明国ヨーロッパのユダヤ人は、イスラエルに帰還する同胞たちを笑っていました。しかし、その後、ドイツにヒットラー率いるナチス政権が起こり、進化論を根拠にユダヤ人を劣等人種として絶滅しようとして、ヨーロッパの6百万人のユダヤ人を殺害しました。

 第二次大戦が終わり、ホロコーストの事実が世界に明らかにされるにつれ、世論はユダヤ人に同情しました。ユダヤ人のイスラエル帰還は加速しました。もはやユダヤ人が安心して生きる事のできる土地はイスラエルしかないと、徹底的に思い知らされたのです。しかし再び問題が起こりました。パレスチナにユダヤ人の人口が急増すると、そこに住みついていたパレスチナ人との衝突が大きくなったのです。当時、パレスチナを委任統治をしていたイギリスは、この問題を国連に委任しました。国連は、イスラエルとパレスチナの分割案を提示しました。

 1948年、国連の採決によって、イスラエル国家を承認する決議が可決されました。こうしてイスラエルは、約二千年ぶりに国家として回復したのです。二千年を経て、律法の回復の預言が成就したのです。世界中からのイスラエル民族の帰還、それは「時のしるし」のひとつです。

 

 しかし、イスラエルの建国宣言は、当然ながら周りのアラブ諸国の反発を招き、すぐに中東戦争が勃発しました。エジプト、シリア、ヨルダン、レバノン、イラクが攻め込みました。誰もがイスラエルの敗北を想像しましたが、結果はイスラエルの勝利でした。

 その後も1973年までに4度の中東戦争がありましたが、いずれもイスラエルの勝利となりました。攻めた国々は敗北し、かえって領土を失いました。しかし、アラブ諸国は石油を武器に世界の世論を味方にしました。日本でもオイルショックが起こりました。石油資源によって、世界が中東に注目せざろうえなくなったのです。

 

 さて、預言通りにイスラエル建国がなされた今、イスラエルはどうなっているのでしょうか。現在のイスラエルは、荒地が緑地に変わり、食料の輸出国となりました。新たに油田も見つかり、資源も豊富です。様々な最先端のテクノロジーを生み出し、中東一経済的に繁栄しています。イスラエルは世界で最も将来が有望な国になったのです。

 しかし、今のイスラエルが、預言されていた真の「イスラエルの復興」の姿ではありません。実はイスラエルにはこれから起こる預言がまだあるのです。(詳しくは「時のしるし3 中東情勢と聖書預言」をご覧ください)

 

  これらのことは、あなたとあなたの子孫に対して、いつまでも、しるしとなり、また不思議となる。(申命記28章46節)